8月10日、未明、母が亡くなりました。
どこも悪いところもなかった母。
前日の気温が37.5度と日本でいちばん暑く寝苦しい夜でした。
エアコンをつけなければとても眠れない夜でした。
母は戦争を生き抜いた昔の人ですからそんな贅沢はできない人でした。
朝、父が起きて身支度を整え新聞を取りに行きリビングをのぞくと
そこに母は倒れていました。
すぐに救急車を呼びましたがすでに亡くなっていました。
警察も着て検死をした結果、夜中にのどが渇いた母がリビングに水を飲みに行きそのあと寝室にもどろうとして気を失ったまま心臓が止まって亡くなったそうです。
幸い苦しまずに逝ったということですが誰にもみとられることもなく死んでしまいました。
87歳でした。
賢く働き者でよく気が利き愛情が深く涙もろい母でした。
用事に訪れた銀行員の方にまで昼食を出してあげるような優しく思いやりのある母でした。
私の小学校の入学式や短大の入学式や通学に着る服も母の手作りでした。
お味噌や梅干し、掘りごたつの炭まで自分で作る母でした。
小学生のころおもちゃではなく世界文学全集などのたくさんの本を
買いそろえて読書の楽しさを私や弟に教えてくれた母でした。
箸のあげおろしからうるさく厳しい母でしたが今はとても感謝しています。
母の作る料理はおいしく今も私は母の料理のおいしさを超えることはできません。
いつも自分のことよりも父や私や弟、孫のことを心配するような母でした。
健康にも気を使い食の大切さを教えてくれ日々の食事もからだのことを考えて作っていました。
検死の結果でも心臓が止まってしまった以外どこも悪いところがありませんでした。
だから私も弟もずっと私たちのこと、孫の成長を見守ってくれるものと思っていました。
あまりにも突然の死だったので知った日は体調を崩してしまいましたが通夜、告別式とおこなっているうちにだんだんと母の死を受け入れていきました。
でもいつもの暮らしにもどった今も家事の途中などでふと母を思い涙がこぼれる日々を過ごしています。
でも泣いていてばかりいては母も悲しむと思うのでいつもと同じように暮らそうと心がけています。
人間というのは不思議なもので自分の親はいくつになっても元気でいるように思いこんでいるんですね。
でもある日突然にお別れはくるのだなあと思いました。
お別れがちゃんとできなかったからか荼毘に付したにもかかわらず今でも母の死が受け入れきれてはいないかもしれません。
まだ母から電話がかかってくるような気がします。
たくさんたくさん感謝しているのだから生きているうちにちゃんと伝えておきたかった。
もっとたくさん話がしたかった。
もっとやさしくしてあげれば良かった。
もっと行ってあげれば良かったと後悔ばかりが募ります。
母は亡くなってしまいましたが母が教えてくれたたくさんのこと、深い愛情を胸に強く生きていこうと思います。
さようならお母さん。
そして今までありがとうございました。
やっと休むことができますね。
ゆっくり休んでください。
あなたの子供に生まれてきて私は幸せでした。
生きているうちに伝えられなかったのが心残りです。
ひとり残った父は弟家族と一緒に支えていきます。
あなたを人生の手本として感謝の気持ちを忘れず生きていきます。
今日も日記を読んでくださってありがとうございました。
明日も素敵な一日を過ごされますように。
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